アントニオ猪木の実家は貧しく子供時代は壮絶だった?ブラジルでコーヒー農家? | TWINKLE BLOG

アントニオ猪木の実家は貧しく子供時代は壮絶だった?ブラジルでコーヒー農家?

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アントニオ猪木さんが2022年10月1日に亡くなり、芸能界や政界でもその訃報に衝撃が走りました。

そんなアントニオ猪木さんを調査すると、実家は昔貧しく、壮絶な子供時代を過ごしたことがわかりました。

そこで今回は「アントニオ猪木の実家は貧しく子供時代は壮絶だった?ブラジルでコーヒー農家?」と題して、アントニオ猪木さんについて調査したいと思います。

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アントニオ猪木の実家は貧しく子供時代は壮絶だった?

アントニオ猪木さんの実家は、神奈川県横浜市にあり、石炭問屋を営んでいました。

石炭というと今では珍しく、石炭問屋は仕事にならないイメージがありますが、世界的にも第二次世界大戦をきっかけに石炭から石油の時代に変化しました。

そのため、次第にアントニオ猪木さんの実家も倒産せざるを得ない状況になってしまったのです。

 

また、アントニオ猪木さんの父親である猪木佐次郎さんは、アントニオ猪木さんが5歳の時に亡くなっていて、その後実家の会社が倒産したこともあり、貧しい生活をすることになりました。

アントニオ猪木さんが中学校に入学した13歳の頃、あまりにも貧しくその状況から脱するため、家族でブラジルのサンパウロに渡っています。

 

戦後で不景気が続いていた当時、「広い土地のブラジルに行けば豊かな安心した暮らしができる」と日本政府が国として薦めており、アントニオ猪木さんご家族もその施策に乗っかったのでしょう。

しかし、苦しい生活から脱するためにブラジルへ渡ったのにも関わらず、実際には朝早くから1日中コーヒー農場でコーヒー豆の収穫をするという壮絶な子供時代を送ったのです。

アントニオ猪木はブラジルでコーヒー農家をしてた?

アントニオ猪木さんはブラジルに渡ってから、家族でコーヒー農家として一日中働いていました。

朝5時から夕方5時まで長時間コーヒー豆の収穫を中心に働き、手が血まみれになったり、仕事終わりにはTシャツが固まるほどの汗をかいていたとか!!

過酷な労働でしたが、最初の労働契約が「1年半働き続け辞めることができない」というものだった為、耐え続けながら働く壮絶な子供時代だったのです。

コーヒー農家で働きながら、アントニオ猪木さんは陸上選手として活躍し、現地の大会にも出場経験がありました。

砲丸投げでは優勝するほどの実力があったアントニオ猪木さんを見て、当時ブラジルを訪れていた力道山さんがスカウトすることになったのです!!

そこからアントニオ猪木さんはブラジルを離れ、日本に帰国し、プロレスラーとして活躍する人生となりました。

ブラジルでコーヒー農家として過酷な労働をしたからこそ、プロレスラーとして活躍することができたと思うと、人生何があるかわからないですね。

まとめ

今回は「アントニオ猪木の実家は貧しく子供時代は壮絶だった?ブラジルでコーヒー農家?」と題して、アントニオ猪木さんについて調査しました。

アントニオ猪木さんの実家は今ではあまり聞いたことがない「石炭問屋」を営んでいたことがわかりましたね。

父親が5歳の時に亡くなったことや、世界的に石炭から石油に変化し会社が倒産したことで生活が貧しくなりました。

壮絶な子供時代を脱するためブラジルに渡りますが、ブラジルでも過酷な生活となります。

しかし、その過酷な労働を経験したことで力道山さんにスカウトされ、プロレスラーとしての道を歩むことになったので、人生何があるかわからないものですね。

結婚離婚も何度か繰り返し、最近では難病に苦しまれるなど、子供時代から壮絶な人生を送っていたアントニオ猪木さん。

だからこそ、「元気があれば何でもできる!」の名言が出たのかもしれませんね。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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